少しでも私のことを知っていただければと思い、プロフィールを作成しました。拙い文章ですが、岩国市 藤生歯科センターにお越しになる前にぜひお読みください。
【少年時代】
<小学校>
小学生のころの私は一言で表すなら「泣き虫」でした。もちろん、何があったらすぐに泣くという極端なわけではなかったと思いますが、小さな頃の印象としてはそうでした。
また、秋田犬を飼っていたので、その犬といっしょに散歩を浴していた記憶をよく覚えています。けっこう大きな犬だったので、いっしょにいると頼もしかったのかもしれませんね。
低学年のころの夏休みや冬休みのは、川つり、山の探検、クワガタやカブトムシ採集、工作と朝から晩まで遊んでいました。とても楽しい思い出でいっぱいです。また、学校のクラス対応のチームでピッチャーをして活躍もしていました。ご多分に漏れず、勉強よりも体を動かすことの多かった私ですが、小5〜6年生のときは本をけっこう読んでいた気もします。
<中学校>
中学校に入ってからも積極的に活動をしていました。1年365日、休みの日も日曜日もクラブ活動していたといっても言い過ぎではないかなと思っています。はじめは弱かったのですが、顧問の先生の熱心な指導でうまくなっていっていきました。
どのようにしたら早く走れるのか、どうすれば思ったとおりにボールを返せるのか、どんな工夫をすれば強くなれるのかを一生懸命考えたことはとても貴重な体験でした。
中学3年のとき、市の大会で個人・団体で優勝したこともあります。県大会でも(都市対抗でしたが)優勝して市のライオンズクラブから表彰されたこともあります。
<高校>
中学校を卒業して、呉の公立高校に進学することになりました。ソフトテニスでがんばった体験を受験勉強にも活かして、公立校では1番の進学校に行くことができました。
しかし、なにぶん体を動かすことが中心の子どもだったので、進学校ではどんなふうになるんだろうと期待と不安が半々でした。部活動は中学校と同じくソフトテニスを選びました。当時はそれほど熱中していたんでしょうね。
ソフトテニス命でクラブ中心の生活に明け暮れてしまいました。そして、がんばった結果として2年生の時に広島県のソフトテニス団体で準優勝し、中国大会に出ることができました。
しかし、晴れ晴れしい部活動にも終わりはやってきます。3年生の春、とうとう引退する時期がやってきました。実は、高校のソフトテニスでは、中学からの同級生ずっとペアを組んでいたのですが、引退と同時にペアを解消することになりました。ソフトテニス命の私としては、これは高校時代でいちばんつらかったです。
【浪人〜大学時代】
上記のように、高校時代は1〜3年の春までソフトテニスクラブ活動に明け暮れていたので、成績は芳しくなく、勉強の方はかなり出遅れていました(いわゆる「落ちこぼれ」というやつですね)。
特に数学と物理が苦手で1年浪人して自宅からバス・電車に乗りついで広島のYMCAに1年間通いました。クラスも医療系ではなく低いクラスでした。しかし、そこで負けるわけには行かないので、繰り返し問題を解いて克服していきました。このあたりの根性も中学〜高校と6年間やってきたソフトテニスの賜物かもしれません。
そして1年浪人し猛勉強した末、第1志望の九州歯科大学に合格できたので、本当に嬉しかったです。合格したときは、自分がこれから歯科医師としての方向が決まったという感覚を覚えました。
ところで、私がなぜ歯科医師を目指そうかと思ったのかというと、小さいときから物を作ったり、細かい手作業が好きだったからです。高校の同級生が歯科医師について言ってきたので意識し始めました。
できれば医療系に行きたかったので、ちょうどよい目標となったのです。何が劇的な出会いがあったわけではありませんが、自分の適性に合った仕事をすることができて、間違いはなかったと思っています。
さて、大学に入ってからは、ちょっと1〜2年生のときは遊んでしまいました。単なる遊びではなく、サークル・部活動だったんですけれど。ずっとソフトテニスをやってきましたから、違ったラケット競技をしたいと思い立ち、バトミントンや普通のテニスなどをやりました。
しかし、高校生のときとは違って、今回は学業面にも励みました。1〜2年生のときの成績は芳しくなかったのですが、徐々にペースを上げて卒業時はトップクラスにいることができました。
歯科医師国家試験に向けては、同級生のみんなより早く勉強に取り組み、夏には問題集を2回終わっていました。しかし、国家試験だけにそれなりにハードでしたね。終わった頃には、もうこんなに勉強したくないと思ってしまいました。そして、無事国家試験にも合格することができ、ついに「歯科医師のスタートラインに立った」なと誇らしい気持ちになりました。
【歯科医師になり開業へ】
歯科医師になって、初めは徳山に本部がある医療法人に勤務するようになりました。その歯科医院は分院が10個くらいあり、とても大きなグループです。
大学の同級生も6人が入社して、お互いにライバル心を燃やして日夜診療と勉強に励みました。私はその中で「1番になりたい」と強く思って毎日をがんばりました。
事実、2年目で1番早く分院の院長を勤めることができました。また、「先生にずっと診てもらいたい。開業しても付いて行きたい」と患者様に言われて、あぁ歯医者さんになってよかったなと人知れず涙ぐんだこともあります。
そうして、徳山での修行時代が3年過ぎた頃、ついに自分の医院を持つことになりました。開業する場所として、妻の親戚が岩国近隣に在住していたこと、勤務していた医療法人の理事長先生にも勧められたこともあって岩国市 藤生を選びました。こうして、岩国市 藤生歯科センターができたのです。
もちろん、開業したあとも勉強はかかせません。プロですから。歯周病、補綴、インプラントなどなど場所を問わずにいろいろ勉強をしに行きました。毎日が診療中心の生活でしたから、とても大変でした(もちろん今も勉強は続いています)。体力勝負です。
また、様々な問題も出てきて、そのつど周りの力を借りたり、励ましによって乗り越えてきました。いちばん難しいと感じたのはスタッフがなかなか定着しなかったことです。これはとても辛かった。一体何が必要なんだろうかと一生懸命悩んだり、考えたりしました。少し光明が見えてきたのはつい最近のことです。
ところで、開業してから辛いことばかりではありません。患者様と接していてよかったなと思う瞬間もあります。それは治療が終わって笑顔で帰られるときです。治療が終了して「もっと早くここに来ればよかった。もっと早く先生に会いたかった」と言われたときです。
こういった喜びの瞬間をもっと得るために、岩国市 藤生歯科センターを日々パワーアップするために、チームメンバーや来院者が「いきいき、わくわく、にっこり」できる明るい診療室を作りたいと思っています。
長々と自己紹介を書いてきましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。それでは、あなたがお越しなる日を心待ちにしております。
|